すしろぐ

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ライフワークとライスワーク

 

私事だが、社会人になった。

大学生活最後の1ヶ月になって、今までの遅れを取り戻すかのように遊び倒した私は、楽しさの高低差にだいぶやられている。

 

1日8時間、7時半起きに、夜は家事とできなかった業務。辛くてしんどいことしかないこの状況に、唯一救いがあるとしたら、悩まなくていいことまで悩む時間がなくなるということのみだ。

一人暮らしを始めて約1ヶ月、独り身になって、約4ヶ月。

失恋の傷を次の恋で癒せないのは、こんなにも一人きりの夜が多いのは人生で初めてであった。

未練代表失恋マスターの私だけれど、流石にもう復縁で検索して夜を潰したり、思い出の写真を見返して涙を流したりすることはない。何をしているか考えることも減って、暇つぶしに登録した出会い系サイトに名前を見つけても鼻で笑えるくらいにはなった。どんどん惨めになっていく私と、なによりどんどん冷たくなっていく彼を見ることが辛かった。

忙しい時間はそんな気持ちを忘れざるを得ない状況を作ってくれるし、会いたい友人に会っているうちに尚更そんな余裕も無くなっていく。

1年半、ずっと開けておいた水曜日と木曜日はただの平日になった。

仕事をして、家に人がいてその人は遊び呆けている大学生だったら私ならムカつくという、新しい視点も持てた。

大人になるって、自分の中で消化しなきゃいけなあものが増えることだと思った。

 

そんな、失恋センチメンタルに浸っていた私にも、少しずつ転機が訪れていた。

夢ができたのだ。

19時の定時まで働いた後は1,2時間家のことをしたり、家の猫様と戯れたりして、22時から、絵の勉強をする時間に充てている。絵を真剣に勉強して仕事にしてみたいと、ただその夢を持つのは気恥ずかしいと思っていた自分をぶっ壊して、胸を張って絵を描きたいと言えるようになったのだ。

かといえ、今は勉強できる環境に行くための資金や時間がない。やりたいことのためにやりたくないことをやるという考えはあまり好きではないが、やりたいことのために、やりたくないことすら楽しいと思える今の自分はあまり嫌いではない。

 

社会人5日目、がんばるぞ

 

考えないようにしようと思う時はすでに考えないようにしようと考えている現象

 

大学生活が最後ということで、いままで全く関心がなかった、旅行というものに行った。

選んだ場所は沖縄。理由は、単純。あったかくてのんびりしてて何より東京からだいぶ遠いというただそれだけ。

ウキウキと飛行機と宿の予約をとったはいいが、移動手段がなかった。

結局、旅行の2日前にとった、しかも原付の免許で身一つで旅に出ることにした。

 

初日。早速レンタルバイクの営業時間を過ぎ、移動手段を失った私は人生初のヒッチハイクに出た。

意外と優しい人が多いもので、無事宿に着いたのは日付が変わる頃だった。

慣れない飛行機に疲れたこともあって、死んだように眠った。

 

2日目。何も用事がなければ結局何もしないよなあと思い、ダイビングのライセンスをとる予約をしていた私は、またもや親切な宿のおじさんに車で市街地まで送ってもらった。

初のダイビングは浅い海から始まった。

こんな重いタンクを背負って、本当に水上まで戻れるのか?という疑問を持つより早く、実習が始まったので、恐怖を感じながらも潜った。

酸素ボンベをつけるのは初めてだった。

水の中に入って、透明度に驚いた。そのあと、酸素ボンベで吸った1吸い目の空気の新鮮さが忘れられない。

スゥーーーーという音と共に地上にいるよりも冷たくだけどなぜか落ち着く空気が私の中に入ってきた。そのとき、初めて気づいた。

あぁ、私は東京でずっと息が詰まっていたんだな。私は、息が吸いたかったんだ。と。

その日は胸がいっぱいで、早々に夜ご飯を地元の居酒屋で済ませて、宿に帰った。だけどなんだか眠れなくて、このワクワクを1人で抱えたまま寝たくなくて、市街地の水タバコ屋へ1人で散歩した。15分で着く道をなぜか1時間もかけて、夜の街へ繰り出した。

 

3日目。ダイビングは朝が早い。ほぼ寝てないまま、またあのスゥーーーができると、ワクワクしていた。少し市街地から離れた穴場と言われるダイビングスポットへ。もう準備や浅瀬は手慣れたもので、2日目というのに意気揚々と水の中へ向かった。水中から見た水面はキラキラと光って、キラキラしているのに眩しくなくて、来世は魚になるのもいいなと思った。潮をたっぷり被った体で原付に乗るのはなかなか不愉快なものであったけれど、そんなことはどうでもいいくらい、興奮していたのだ。

この日はやりたいことがたくさんあって、沖縄の美術館へ行ったり、市街地をあてもなくツーリングしたり、観光らしいことをした。

その夜は、元々行きたかった20km先の水タバコ屋へ原付を走らせた。途中の道で、夜景がすごく綺麗で、「夜景がすごく綺麗だよ」と連絡したくなった人がいた。そういえば、美味しいステーキを食べた時も、酸素ボンベのスゥーーーも、美術館にあった写真展のすごく心に残る写真も、天気がすごく良くて、意外と沖縄の水タバコ屋も捨てたもんじゃ無いんだよということも、伝えたい人は同じだったと思い出して、少し泣いた。泣いたけれど、原付の音と風がなかったことにしてくれた。

 

 

4日目も、1〜3日目の書いてない時間も本当はもっと心で思うことがたくさんあったのだけれど、うまく書くことができないから、また別の機会に。

 

今回の旅行は、実は卒業旅行のために、実は一緒に行きたかった人がいて、でも、それはもう叶わないので、ありったけの贅沢をした。

1人で行ったはずの旅行は、2人で行きたかった場所と2人で共有したかった感情で溢れていて、まるで1人旅にはならなかった。

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頭の中で思ってたことって実はそうじゃなかった あるある現象

友達以上恋人未満、という言葉に当てはまるか分からないが、妙な関係の友達、がいる。

 

彼とは3年前に出会って、1年全く連絡を取らなかったり、かといえば週に3回会う時期があったりと、それでも毎日一緒にいるように話が合うし、今日初めて会ったかのように新鮮な発見ができるなんとも面白い仲なのだ。

3年前に1度だけ、恋人として付き合おうかと思った時期があった。

確か、彼を下の名前で呼ぶのが抵抗があると思って、やめた。

 

元恋人といる間、一度会ってはいたが(勿論、了承済)喫茶店で1〜2時間お茶をして、近況報告やら、彼の相談事を聞くやらして、カメラ屋に行ってすぐに解散した。同じ街に1年間住んでいて、2人とも同じ学年で、暇だったのだが、なんとなく会わなかった。

そんな彼と、最近は頻繁に連絡を取るようになった。

というのも、それまで元恋人という価値観も考え方も、育ってきた環境もこれから生きていく環境も全く違う人間と一緒にいたので、別れた報告をしに久し振りに会った彼が価値観も考え方も、育ってきた環境も(高校も実は同じ)、これから生きていく会社員という方向性も勤務地も同じ人間であることに面白さを感じ、もっと話してみたいと思うことが増えたからだ。

 

 

平日のアルバイト終わりの文学的な活動にあたる時間が終わると、夜勤の元恋人が帰宅する4時までは時間があり、かといって4時まで起きていると次の日のアルバイトに響くので2時くらいに寝たい、という時に、まあ簡単に言うと暇な時に、よく彼に電話をかけた。久しぶりに異性と長い時間一緒にいるからか、なんとなく好感を持っている自分もいた。

一方で、それは恋愛感情ではないし、そもそも彼には恋人がいるしね、と思う自分もいた。

何より、元恋人にもう甘えたりデートに誘ったりできないので、その代わりにしているようで嫌だったし、何より何より、先月くらいまでは、元恋人のことがまだ好きだった。

 

そんなこんなでよくわからない気持ちと関係性を抱えたまま、かと言って最近の相談相手はもっぱら彼だったので、今の色々な気持ちを彼に相談した。今思えば、アホかと思う。

彼は、自分も同じような気持ちになると一言添えて、スプートニクの恋人って知ってる?と言った。

知らないと答えた。

恥ずかしいことに、日本を代表する作家の、結構有名な本。

意味を聞くと、「忘れたけど、スプートニクって衛生のことを言ってるんだよ。惑星はお互いの距離を詰めようとも遠ざけようともしない、ずっと同じ距離でずっと回っているんだ、それと自分たちの関係は似ていると思ったんだよ」と言った。

なんか素敵な言葉だな、という感情が勝って、自分が質問しておきながらそんなしつもんはどうでもよいとおもって、たしか別の話をした。

 

聞いたことはすぐ生かす方なので、すぐにスプートニクの恋人を読んだ。

スプートニクって、調べたら旅の伴侶と書いてあって、全然に言ってたことと違うんですけど。と思った。f:id:uninosushi:20210301062622j:image

 

人はその立場になって初めてそれがわかる現象

最近の日常。

最近は、先月末から始めた一人暮らしが莫大なお金がかかるという現実から生まれた恐怖を消すために、アルバイトばかりしている。

4月から社会人になり、月給制、が取られるのだが、今は時給制。時間を切り売りして、お金を稼いでいる。

そうするとまあ、なかなか自分の時間を取ることが難しい。少ない休日を睡眠に充てたいという自分、本を読んだり映画を見たり文学的な活動に充てたいと言う自分、誰かと会って長話をしたいという自分のせめぎ合い。

社会人になり、仕事が人生の中心に来る予定の私は、残りの月にすることをリストアップして、平日の夜、アルバイトが終わってからの時間を文学的活動に、休日の片方を体を休める時間に、もう片方はその時の気分次第というようにした。

今日は、この取り決めをした初日なのだが、不本意なことに、明日のアルバイトがお休みになったため、こういう場合はどうするべきなのかと考えあぐねている。

 

 

実は、私は、一人暮らしをする準備こそすれど、家電が届かない(ということを言い訳にしつつ)ため、かつて同棲していた元恋人と、別れて2ヶ月経つ今まで、一緒に暮らしている。(別れて2ヶ月ずっとではなく、紆余曲折あり、何度かは実家に帰ったり、何度かは友人の家に泊まったり、など諸々あるが長くなるので割愛)

恥ずかしいことに、いままで真面目にアルバイトというものをしてこなかった。最低限生きていけるだけの金、それも都内に実家と学校があり、友達も片手で数えるほどな学生が生きていけるだけの金さえあればよかったので、月5〜7回働けば御の字であった。時間だけがあった。

やりたいことも見つからなかったし、なんだか、漫画ばかり読んでいた。元恋人は1つ上の学年で、漫画ばかり読んでいて、だらだらしているだけの生活は、1年前から私だけのものになった。

フルタイムでアルバイトすることによって得たことは、今まで自分がいかに怠惰で、自分が汗水垂らして働いている中ひたすら漫画を読むだけの人間が家にいることは中々のストレスだという発見だ。

 

 

そんな反省はさておき、なぜ元恋人の話をしたかと言うと、今日は久しぶりに元恋人の職場に顔を出しに行くことにしたからだ。

15〜28時という脅威の営業時間をする、水タバコ屋は、中々の人気店で、時間の融通が効く私は、いつも決まって、日曜日の深夜、繁忙店のそこが空いている時間に訪れた。

元恋人の元恋人や、同じく水タバコ屋で働くスタッフの恋人は、嫌だと言っていたけれど、誰に対しても変わらない優しさで接客する元恋人を見ることのできる、1月か2月に1度の日曜日は、私にとって特別なものだった。

スタッフの恋人ということで、随分親切にしてもらったこともあり、私たちが別れたことはその日にでも店の全員に広まってしまったので、それまではなかなかの高頻度で通っていたその店も、だいぶ敷居が高いものになってしまった。

私がいなくても今までどおり笑顔で働く彼を見て、複雑な気持ちにならないか、怖かった。

そんな店に今日は、次の日が休みだからという、大特権を使って、遊びに行った。

店の雰囲気も出てくる水タバコの質の良さも、彼の接客も、彼の周りのスタッフも、何もなかったかのようにいつも通りだった。

私は、なんだかそれがとても嬉しくて、関係者側じゃない視点から初めて見たその店は、今までよりもっと、印象の良いものだった。

だから私も、いつも通り、カウンター席に座って、いつも通りジンジャーエールグアバジュースを飲み、図々しくも一番奥のソファ席で横になって寝るなどした。

 

元恋人はバイク通勤なのでおそらく先に家に着くと思うといい、スタッフの1人と一緒に駅まで歩いた。

こんなことはよくあった。少し懐かしかった。

スタッフの1人と言っても、私たちの雲行きが怪しくなった去年の冬ごろ入ったスタッフなので、まだ会うのは4,5回目だったが、よく気を遣ってくれる方で、当たり障りのない話をした。

当たり障りのない話が苦手で、私たちと同じ時期に別れたらしい恋人の話を聞いた。

今は店が居心地良くて、そこでやりたいこともできたし、仲良い人もできたし、満足できちゃったんだよね。と。

そんな彼がいることや、そんな関係性を作ることのできるその店が、元恋人をこれからも笑顔で居させてくれるのだろうと、人の別れ話にもかかわらず、嬉しくなった。

 

今年も忘年会が楽しみだなあ、俺忘年会早く来て欲しいもん!と笑いながら彼は言っていたし、私も、いや、先過ぎ、まだ3月!と笑いながら答えたけれど、今年の忘年会に私はきっといない、と思った。f:id:uninosushi:20210301060936j:image

今日は内容が浅いので特に思いつく現象がない

 

三日坊主なので、だいぶ更新しなくなってしまった。

最近、社会人と学生の分岐点にいるなあと、思う。

今悩んでることのほとんどは学生ならではの悩みだ。学生だからね。

恋愛のこと、趣味のこと、将来のこと、本当にやりたいこと、本当はやりたくないこと。そんなことで悩んでいたら、社会人の友人はみんな、「そんなことで悩むのは、暇だからだよ」「社会人になればそんなことで悩む時間もないよ」「社会人になれば分かる」この3つのうちのどれかしか言わない。

これはきっと当たりなんだと思う。

大学1年生の新入生歓迎会で、「大1は単位を取っておけ。フル単を取らないと辛い」と言われて、訳が分からなかったが今は痛切にわかるように、きっとあとから確かに。と納得できるのだと思う。

 

でも、、、でもなぁ。と思ってしまう。

じゃあ社会人になって悩まなくなったのは本望なの?

つまらない他愛もない小さな悩みを「まあいいか」と忙しさを理由に感じなくなっていくことも、仕方ない、ことなの?

そう思ってしまう。

 

少なくとも自分は、社会人になって、仕事や社会的責任が生まれて、小さなことを何も感じなくなってしまっても、あの時あんなことで悩んでいたなあとか、あんなことを考えて過ごしていたなあとか、覚えたいたいなと思う。

社会人になった人だって、元は学生で暇で、つまらないことが気になって、つまらないことで悩んで泣いて眠れなくなった日があったじゃないか。

 

誰に相談するでもなく、なんとなく悩んだまま帰りたくなくて青梅街道を永遠に歩いた夜とか、ちっぽけな悩みが人生を左右するほどの大きな障害に見えて何もかも嫌になった日とかそういう「大したことない」時間をいつまでも忘れない人でありたい...

そして、自分が若い頃悩んだようなことでいつか年下のだれかが悩んでいる時は、同じ目線までしゃがんで考えてあげられる人でありたい。f:id:uninosushi:20210217024729j:image

恋愛は時間が解決するけれど、その時間が経つまではどうしたらいいの 現象

昨日と先一昨日に「花束みたいな恋をした」という映画を観た。予告に一目惚れし、坂本裕二の脚本ということで期待値はかなり高かった。

 

結果......

 

ぶちのめされた。

 

単調に解説すると、好きなものが全く同じ理想的な出会いをした2人が、社会に出るとともに現実というものを見て、すれ違い別れるという、本当にありふれたお話。

大学時代につきあいたてのまま安易に同棲をしたこと、好きなものが少々同じだけで運命めいたものを感じてしまったこと、言葉の「言い方」など小さなことが喧嘩の原因になったこと。仕事とワタシの両立ができなくなったこと。誰しもが憧れる人気俳優2人が、誰しもが一度は経験したほろ苦い経験を淡々と演じる。

 

私の通っている大学の最寄駅ということ、ちょうど就活を終えた大学4年生であること、サブカルに傾倒してる女子に見られたいこと、長く一緒にいた恋人と別れたことなど、麦くんと絹ちゃんの出会い並みのマッチングのフルコンボで、他人事としてみることは出来なかった。

 

長く一緒にいた1つ年上の恋人は、とても穏やかな人だった。

就活で苦しんでいる時、麦くんのように味方をしてくれたし、泣いている私をあのパジャマのようなラフな出立ちで迎えにきてくれることもあった。

麦くんと絹ちゃんほど趣味は似ていないけれど、初対面からなんとなく親近感を覚える彼で、2人で映画を見に行ったり、カフェに行ったり、沢山の思い出があった。

徒歩15分のスーパーからの帰り道は、少なくとも私にとっての何より大切な時間だったことも同じ。

 

就職し、社会人となって、仕事が忙しくなっても、私が作った夜食を米の1粒残さず食べてくれる、「おいしかった」のおまけ付きの彼が大好きだった。

時間が経って、初めの新鮮さや、ドキドキや、盲目的に恋をする気持ちが消えても、そこには今まで2人が平行に歩いてきた道とこれからも歩幅を合わせる思いやりがあると信じて疑わなかった。

 

だからこそ、別れを切り出された時は直ぐに理解することが難しかった。

IKEAで組み立て式の家具とか買って、奮発して新しい家電も買って、私が後から真似っこしたお揃いのオールドスクールのスニーカーに、キッズサイズも並ぶ日が必ず来ると慢心していたからだ。

 

好きな気持ちは形を変えることこそあれど、なくなることなんてあるんだな、とぼんやり思った。

縋り付いて泣きつきたいけど、そういうところが嫌だったんだなと思った。

 

穏やかなところに惹かれて好きになった彼は、皮肉にも別れ方すら穏やかだった。

 

 

1度目の映画は2人で見た。

麦くんと絹ちゃん、どうしたら別れなかったんだろうね?と悲しそうにする彼に、私たちもどうしたら別れずに済んだのかな?と尋ねようとして、2人はもともと価値観が合わなかったんだよと答えた。

そんなことないよ、きっと出会うタイミングと色々な出来事が起きるタイミングなんだよ、と言われた。

タイミングか、と思った。

 

 

麦くんと絹ちゃんが再会してもお互いを懐かしむことなく爽やかに見えない場所で手を振っていたのが印象深かった。今の私はきっとできないと思う。新しい恋人がいることに落ち込み、不幸になれ!と思ってしまうかもしれない。今は、恋愛は時間が解決するのは間違いないけれど、その時間が経つまでどうしたらいいの現象の真っ最中だ。

 

でも、花束みたいな恋を私も彼にさせてもらっていたのだから、いつか何年後にどこかで会えたら、見えないかもしれないところで静かに手を振って、「がんばれ!」と言える人になりたいと思う。f:id:uninosushi:20210206201215j:image

 

なんだか今日いけそうな気がする 現象

 

すきなものの話をしたときに書きそびれた。

好きなものの共有に興味を持ったのは最近の自分の環境の変化に理由がある。

最近、自分の中で「価値観の違い」という言葉を聞く機会が増え、好きなものの共有への恐怖の根源が分かったからだ。

 

 

価値観の違い。

友達カップルに別れの理由を聞いた時や、有名人が離婚を発表するときなどにこの言葉を聞く。価値観の違いとは、非常に矛盾していて、そして便利な言葉だと思う。

矛盾しているというのは、価値観が全く同じ人間というものはこの世にいないという根拠に基づく。価値観が違うということは逆に言えば、自分にはない考え方を知ることができるチャンスだと思う。考え方が違う人間に出会ったときの態度はその人のキャパ、器を表すと思う。それを面白いと思うのか、そんな考えもあるなと受け入れるのか、はたまた突っぱねるのか、それにとどまらずおかしいと断言するのか。

 

便利、というのは、価値観の違いという言葉自体がオブラートに包まれたものだからだ。価値観の違いでうまくいかなくなった、別れた、というのは、

 

元々違うモノである相手の価値観を、もう許容できるほど好きじゃない

 

を綺麗に言い直したものである。

もっといえば、相手と自分の考えや生活スタイル、生き方の違いを楽しんだり、興味を持ったり、すり合わせたり、許したり許されたりしたいほど、好きじゃないよの美辞麗句。

 

相手の価値観つまりは相手の好き嫌いを知ること、そして許容することは、それを出来るかどうかで相手との距離感や相手がどのくらい好きか分かる踏み絵みたいなものだと思うようになった。

今まで感じていた、好きなものを共有することの恐怖はここに理由があったのね、と思った。

もしそれを受け入れられなかったときに、自分の、相手の、本当の気持ちを知るということが怖かったのだ。

 

私は映画を映画館で見ることが好きなのだが、その時、絶対に見たい映画を相手に先に言うことはなかった。どことなく見たい気持ちを漂わせることはあっても、明言して誘うことはなかった。それは、映画館で、自分が見たい映画と相手が見たい映画が違ったとき、自分の映画の趣味と相手の映画の趣味が違ったとき、『この人の好きなものに歩み寄りたい』と思うかどうかで、自分と相手の気持ちが分かってしまうからだった。

 

 

好きなものの共有は、知りたくないことを知ってしまうリスクをはらむ。しかし、ぬるま湯につかって、リスクから逃げていても、ずっとぬるい人生だよな、、、という冒険心が、リスクをおかしても深淵をのぞいちゃう????という勇者モードを生んだ次第である。

そんなこんなで、「いろんな人と好きなもの共有したいモード」の今の私は、全く勉強しなかったテストの前日になんかいけちゃいそうな気がする減少と同じ類いの死亡フラグが立っている。